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「沿岸部の住宅建築禁止」 78年前に宮城県が独自条例 |
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Quote 東北地方太平洋沖地震 防災 |
県私学文書課によると、この取締規則は今は存在しないが、廃止された記録もない。50年の建築基準法施行後、市町村が災害危険区域を指定し、住宅建築を制限できるようになり、役割を終えたと推測される。
(略)
気仙沼市に住む畠山和純県議会議長は「当時は海岸近くに住宅は建てず、みな高台に家を構えたのだろうが、代替わりするうち形骸化したのかもしれない」と分析。「立派な堤防で津波に抵抗しても無駄なことは、今回の震災で身に染みた。今後、防災対策を考える際は、この良き先例に学ぶべきだ」と話している。
明治三陸地震の津波の犠牲者2万人。
今回例えば同じような規制設けたとして、はたして50年後70年後に形骸化しない、と誰が断定できるでしょうか。今は誰も住む気が起きないとしても。
漁で生計立てるためには巨大堤防の海側にも作業小屋を建てる→住み着く→周りに住む人が増える、という形でだんだんなし崩しになっていったということです。
一方、明治三陸あるいは1960年チリ地震津波の教訓を断固として守り、高台で難を逃れた集落も少なからずあるようです。
津波の高さ湾の向きで差 東北大講師「相関関係示す典型」 |
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Quote 東北地方太平洋沖地震 |
町内会長の及川秀七さん(73)は「広田湾も只出漁港も、すぐ隣の湾なのに、それぞれの方向から入ってきた津波は、規模や迫力がまったく違っていた。別の地震の津波のようだった」と証言。広田湾側からの津波は高さ10メートルを超えていたが、只出漁港側からの津波は3メートル程度だったという。
東北大災害制御研究センター非常勤講師の阿部郁男さん(43)は「津波の威力は地震の規模だけではなく、震源と湾口の位置関係で大きく変わり、今回の津波でも、その傾向は顕著だ」と指摘する。
東日本大震災の震源は牡鹿半島東南東の三陸沖で、広田湾からは南東方向。広田湾の湾口はちょうど南東に開いていて、震源からの津波が直接伝わった。一方、只出漁港側は東向きで、津波は広田半島にぶつかり、広田湾の津波よりも小さくなったとみられる。
お久しぶりです。が相変わらず震災関係の記事追ってばかりです。
湾の中では複雑にはね返って場所によって複数の波が重なる、さらに後から後から波が押し寄せるということでどこで被害が拡大するか全く判断できないのが怖いですね。
今回は500kmという範囲が数十m動いたわけで、どこでどの向きから来たのかは今後数年の解析を経ないとわからないかも、です。
物資運搬効率的に/ネット会社マップ作成 |
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Quote 東北地方太平洋沖地震 ネットサービス 中国 |
開発したのは「必要物資・支援要求マップ」。米インターネット検索大手グーグルによる地図サービスをベースにしており、17日から運用している。
使用方法は被災者が地図上に示されるポイントに被災者が必要な物資を書き込む一方、自治体など物資の送り手側は書き込みを閲覧しておおよその需要量を把握。必要な場所に必要な物資を送り届けようという試みだ。
被災者の多くは現在、インターネットを使える環境にないが、物資を運搬するドライバーなどの書き込みも想定している。今後、携帯電話用サイトも作成する。
今回は多数の地区・家屋で孤立が発生、避難者も一時50万人、道路が通ってもガソリン・軽油不足ときたもんだ。
ということで物資の要求と把握にこちらのサイト。
要求側は地図のすぐ下に検索ウィンドウで所在地記入し、出てきたマークをクリックして内容入力。
なんて書いてる間に気仙沼に1こ追加されてる。ほんとこちらから直接行って…ってできないのがもどかしい。
もひとつ。献血がありました。 |
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医療 |
しかし既に出回ってる通り集中されても困るそうなので、事前に足りてるかどうか確認を、ということみたいですね。
http://www.jrc.or.jp/search/bloodcenter/ 各地の血液センター
昔献血ルームの場所だけ調べて、結局1度も行ったことないんですよね。
Re: さて、じゃぁそろそろ
証券会社経由で |
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20万です。
最終的な受け取りは日本赤十字社で、もちろん寄付金控除になります。
物的・労働力的提供は特に予定ありません。
中越の時以来なので、スマトラ沖もこないだのNZでも何もやってないですねえ。
↓単純に割ると1件4万ぐらいです。
同社によると、義援金は14日から現金の持ち込みや郵便振替、インターネットの電子決済などで募集。募金件数は57万4000件で、2週間で115万3000件だった阪神とほぼ同じペースだが、1件当たりの寄付額が増えているという。
義援金は、中央共同募金会(東京)などにも届いており、今後、各県や同社などで配分委員会がつくられ、使途や支給額などが決められる見込み。
塩釜・魚市場再開へ清掃 被害少なく水揚げ可能 |
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Quote 東北地方太平洋沖地震 |
市によると、魚市場は荷さばき場に亀裂や段差ができたものの、岸壁や屋根は無事で、一部を除いて水揚げが可能な状態だという。東京、気仙沼などからは早くも、市場再開について問い合わせが来ている。
塩釜港は生マグロの水揚げ基地。卸売業者「塩釜魚市場」の志賀直哉社長(63)は「漁業者や消費者のためにも、早期復旧を目指す。マグロ以外の魚種も受け入れ、三陸の魚を県内、全国に運びたい」と語る。
まだ不思議な景色は残ってますが、こちらは早くも再開準備。地図で見ると牡鹿半島と松島に守られたようです。
とにかくできるとこから日常に戻していかないと、ですね。
双葉町の1200人、さいたま市に役場ごと疎開 |
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Quote 東北地方太平洋沖地震 |
町民はこの日、バス40台で避難先だった福島県川俣町の体育館を出発。夕方までにアリーナに着くと、支給されていた衣類や毛布などを抱え、アリーナ4、5階へ移った。一様にほっとした表情だったが、用意された車いすに乗る人や、毛布を敷いて早々に眠る人も。
会社員の須藤美幸さん(36)は、長男拓也君(6)と父母の4人で避難。美幸さんは、小学校入学を控える拓也君について「まともに通えるのか不安だが、友達と同じ学校ならいい。買ったランドセルや学習机は家に置いたまま」とこぼした。拓也君は「サッカーがしたい」。
(略)
出迎えた上田清司埼玉県知事は「全面的に協力する」と約束したという。同県は1日3食の食事を提供する。アリーナ内に水のシャワーはあるが、風呂がないなど課題もあり、生活支援策を急ぐ。使用期限は今月末を想定するが、延長や県内他施設への移転も検討している。
とにかく疎開です。おすすめ。人が多すぎるなら1週間だけでも。体と精神的負担が全然違うはず。
しかし今回は移動どころか食料もままならない避難所がまだあるというほんとに規模の違う災害…。
犠牲者大幅増は必至 不明、届け出と実態乖離 |
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Quote 東北地方太平洋沖地震 |
東日本大震災による人的被害はあまりにも甚大で広範囲におよび、発生から1週間が過ぎた18日時点でも把握できていない。各県警は死亡を確認した方々を死者として発表、各県は市町村から報告があった死者数を市町村別に明らかにしている。このため警察発表とは合致しない。
石巻でも不明1万人と言ってたのに数字が変と思ってたらこういうカラクリだったのか。
今日のニュースでは青森に近い久慈市でも津波20mだとか。
内陸地震の「恩返し」 宮城・栗原の有志ヘリなどで物資輸送 |
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Quote 東北地方太平洋沖地震 防災 |
チームのメンバーは以前から沿岸部の防災訓練に参加。南三陸町からは「何かあったら、とにかく来てほしい」と言われており、要請がなくても自発的に出動した。
チーム代表の会社社長佐々木逸馬さん(76)は12~14日、自家用のヘリで南三陸町を往復し、自分で購入するなどした食料や軽油を運んだ。さらに、現地災害対策本部の依頼で、飲料水や粉ミルクといった物資を、道路が寸断され孤立した避難所へ搬送した。
(略)
トラックを使った気仙沼市への物資搬送も16日始まった。市内の食品会社の呼び掛けで、飲食店や農家、市などから提供されたおにぎり5500個、水1900リットル、納豆6000パック、野菜などを運んでいる。
同社の社長は「栗原も物資が不足しているが、沿岸は緊急性が違う。内陸地震で大変な支援をいただいており、ぜひ恩返ししたい」と、自らハンドルを握り出発した。
ポイントは3+1つ。
・事前に「何かあったら行く」約束。
・呼ばれなくても行くw
・自身が被災者であっても助ける。(ご存知の通り栗原市は唯一「震度7」を記録したとこです)
そして今回、道路はもちろん船でのアクセスも難しいため、空路が最もきめ細かく対応できたというところでしょうか。
それにしても、八面六臂な76歳ですわ。
Re: ‘【重要】武雄タウンステイ構想?千人受け入れます?’
西日本では結構動きがあって |
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既に被災者で入居してる人も出始めてるんですが、
1つはそれをまとめて見れるとこがあるのか(たぶんそれどころではない避難所・自治体も多数)、
あとやはり年配の方は住み慣れたとこから離れるのをためらってしまう、ってのがネックかもしれませんね。
つかそれ以前に(数日間の)食料と薬、移動のためのガソリンすら足りてないのか。
揺れによる建物被害少ない可能性…地震波分析 |
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Quote 地震 東北地方太平洋沖地震 |
震度7を記録した宮城県栗原市や震度6強だった仙台市で得られた周期1〜2秒の波の強さは、約30万棟が全半壊した阪神大震災の時の被災地に比べ2〜3割程度だった。周期1秒以下の地震波が強いと、室内にある物は揺れるが、建物には影響が少ない。
東日本巨大地震による各地の建物被害の状況はまだまとまっていないが、内陸部の栗原市では外観から判断する限り全壊建物は2棟にとどまる。また消防庁によると、判明している死者数の多くは津波被害の激しかった沿岸部に集中しており、内陸部では数十人程度。このことからも、揺れによる建物被害は少なかったと推定される。
図は http://www.kz.tsukuba.ac.jp/~sakai/113.htm#cmt より。(長いので下から読んだ方が早いです)
今回の地震での「不幸中の幸い」。
M9.0には変わりないので道路等インフラ回復にはとんでもない期間かかると思いますが、
当分は重機などのリソースを沿岸部に振り向けて瓦礫除去ひいては復興を早めることができるようです。
この「1~2秒周期」の強さは場所によってばらつきがあり、石巻が6強相当なのに
対して女川原発のある牡鹿は5弱相当、栃木県の旧小川町が石巻と同じ6強相当なのに対して
隣の大田原市は5弱相当となっています。
IIJ、被災した東北3県市町村サイトのミラーサイトを設置 - ITmedia News |
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東北地方太平洋沖地震 |
IIJ、被災した東北3県市町村サイトのミラーサイトを設置 - ITmedia News
「県」のページは今のとこなくて市町村のみのようですが
の順です。負荷緩和どころか、すぐに表示されます。
仕組み上、トップ以外はミラーじゃなかったりトップ自体もミラーじゃなかったりしますのでそこだけご注意を。
3/19追記:既に各「県」のページへのリンクもあります。
津波 女川港では高さ15mに NHKニュース |
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Quote 東北地方太平洋沖地震 防災 |
女川港では、少なくとも、その2倍以上の15メートルの巨大な津波が押し寄せていたことが分かりました。また、3階建てや4階建ての鉄骨のビルがなぎ倒されているのも見つかり、調査団の計算によりますと、津波の圧力は、1平方メートル当たり50トン以上で、ビル全体では数千トンに達していたということです。
図は2ちゃんで拾った http://www.jnes.go.jp/content/000015486.pdf より。
女川原子力発電所では貞観津波も含めた過去の最大高さの津波(1611年の6~8m)を元に敷地の標高を14.8mとしたそうです。
すげー際どいとこでとどまってくれたもんだ。
また今回本震の津波観測で「引き波」というのもいくつかありましたが、引き波時の冷却用水確保も重要な要素のようです。
ルート途絶で集積所滞留…避難所に届かない物資 |
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Quote 東北地方太平洋沖地震 防災 |
問題はそこから先だ。
仙台市によると、物資を集めるための基地には、かなりの物資が集まっている。その物資を避難所に届けるのは市の役割だ。
ただ、市内には、事前に計画していた避難所のほか、企業が提供したスペースや小さな集会所など、住民が集まったために自然発生的にできた避難所が続々と増えていて、そうした避難所からも「食料を送ってほしい」という要望が市に寄せられている。このため、事前に計画していた以外のルートでも物資を配らないといけないため、運送ルートづくりに時間がかかっている。
また、ガソリンが乏しいために、避難所に物資を運ぶトラックが計画通りに運行できない。さらに、給油しようとする市民の車がガソリンスタンドから車道上に列を作り、車線がふさがれているために計画通りに運べていない。
このため、仙台市の担当者は、「事前の計画を超えた想定外の地震なので、自治体の輸送用トラックにガソリンを優先的に配ることなどを国も検討してほしい」と訴えている。
福島県田村市でも同様に、「各避難所に物資を配る車を動かすガソリンが足りないし、計画の時間通りに届く物資もほとんどない」と話す。
ガソリンや、避難所で暖を取るための灯油も、メーカーは供給はしているが、ガソリンスタンドや避難所には十分には届いていない。その理由について、石油精製・元売り会社14社でつくる石油連盟(事務局・東京都千代田区)は「物流ルートの目詰まり」を挙げる。
(だいぶ略)
15日夕の時点で、孤立して救助を待っている人は約2万3300人もいる。陸自幹部が「目の前で助けを求める人がいれば、自衛官の目はどうしても人命救助に向きがちだ」と話すように、ヘリポートには物資が山積みになっていても、ヘリコプターは救助活動に優先的に使用され、避難所に物資を輸送するのは後回しになるケースがあるという。
日本海側ルートでJR、太平洋側も港がいくつか機能しつつあるけど、全然行き渡ってないようです。
NHKでも「避難所の数が予想以上に多くて行き渡っていない」と言ってました。
しかしそれで助けられた人がたくさんいるのも事実 |
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せっかくなのでついでに。
「恩返しができることは誇りに思うが、日本の援助隊とこんなに早く再会するのは悲しいことだ」